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「コンテンツマーケティングの死」を避けるには?

作成者: 高広伯彦 Nori Takahiro |2014/12/16 13:55:00

デジタルマーケティングに注力しているクライアント企業に伺うと、

「最近、コンテンツを作りませんか、とか、何本いくらで作りますよ、っていう感じの会社から連絡がしょっちゅう来るんだよね、高広さんどう思います?」

といった話を聞くことが結構な頻度で起きています。

バブル、、、とは言いませんが、いわゆる「コンテンツマーケティング業界」に勢いがあり、コンテンツ制作を中心にしたサービスを売るための営業活動 が盛んなのでしょう。実際のコンテンツ制作はアウトソースができるので、自社で編集者・ライターなどを抱えなくても、営業さえいればコンテンツマーケティ ングのサービスはできてしまうので、非常に参入障壁が低いと考えられ、各社が参入してきています。

しかし一方で、これほどまでに”バズって”しまうと、あることを思い浮かべてしまいます。

それは、2013年の後半から今年に至るまで、”The Death of Content Marketing!”や”Content Marketing is Dead”と欧米で言われ出していること、です。

その意味するところはいくつもの側面がありますが、例えば(特にコンテンツSEO的な観点で)企業側が作ったコンテンツが増えるものの、それってほんとに読まれているの?ゴミ増やしてるだけで効果ないんじゃないの?といったものもあります。

コンテンツマーケティングの名のもとに量産されるコンテンツは、やはり日本における「コンテンツマーケティングの死」を早めるのでしょうか?

個人的にはこのまま行くと、日本における「コンテンツマーケティングの死」が早く起きそうな感じがすることもあり、コンテンツマーケティング業界やネイティブ広告業界の人にうまくやってほしいと思いますが。

なにより、ただでさえ情報飽和の時代なのに、コンテンツマーケティングの名のもとにいい加減なコンテンツが量産されるとやはりゴミ増えるだけでしょう。

「質の高いコンテンツ」とか「役に立つコンテンツ」といったフレーズも、すでに「コンテンツマーケティング業界」の人々が唱える単なるお題目になり つつあるんではないでしょうか? そうであれば、オーディエンスであれ、企業側であれ、「コンテンツ」への不信感が起きる可能性も否めません。

「質の高い」とか「役に立つ」って言葉すら、コンテンツマーケティング実施側の思い込みに過ぎないのではないかとも思います。

この二つの、コンテンツマーケティング業界でよく聞くフレーズの前にもっと踏まえなければいけない重要なことは、

コンテンツを見てもらうというのは、相手の時間をいただくこと

だと思います。

これを前提にしてないとお話しにならないでしょう。

今のコンテンツマーケティング業界に重要なのは、質とか役に立つって言葉じゃないのでは?

有限な時間と引き換えに、そのコンテンツを読んでもらえる自信があるかどうか、ではないでしょうか。

もしこのような態度でコンテンツが作られるとしたら、それはきっと「質が高く、役に立つ」ものになるでしょう。

それが結果として「コンテンツマーケティングの死」を防ぐことになるのだろうと思います。

 

コンテンツは量産可能な「数」でもなく、単なるウリ文句としての「質」や「役に立つ」というフレーズでもなく、この「有限な、相手の支払うコストに対する対価」として制作されるべきでしょう。

 

このような考え方は実はインターネットが「従量課金モデル」だった頃に経験したものです。

当時は高速回線でも常時接続でも無い時代で、ネットのつながってる間、その時間に応じてユーザーはネット接続料を払っていました。

インターネット広告はその時代からあったわけです。

つまり、見たくもない広告の表示のためにネット接続料を支払うという、ある意味ひどい目にユーザーはあっていたわけです。

そうした頃に、「ユーザーにわざわざお金を払わせてしまってる中で、見たくない広告でよいのか?楽しませる広告、表示の時間を待ったかいがあった広告でなければならないのでは無いか?」と、ユーザーの支払う「コスト」に対して妥当な価値の広告という発想に至ったわけです。

当時は、「従量課金」という金銭的コスト(もちろん時間も)に対するものでしたが、ことコンテンツマーケティングにおいては(コンテンツのアーカイ ブに対するコスト、流通コストは下がっているものの)ユーザーの有限な時間は変わらないですし、その有限な時間を”支払って”コンテンツを見てくれるわけ なので、その対価としてコンテンツを提供するべきである、と思います。